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第4章

そして現在…

那覇市おもろまちに沖縄県立博物館がある。最初は物見遊山気分で出かけた博物館であったが、今ではホッと一息入れて気分を変える場所になる、お気に入りスポットのひとつだ。訪れる度に沖縄の先人達に思いを馳せながら、急激に変わりゆく沖縄はこのままどこに向かっていくのだろうと、私なりに考える。

私は琉球政府立琉球大学に入学し、琉球大学が国立になって最初の卒業生だった。復帰前後を琉球大学の学生として過ごした私にとって、復帰は少なからず今の私の仕事観に影響した

当時、琉球大学の私が所属する会計ゼミで「沖縄の減価償却の取扱はこうあるべきではないか?」「沖縄の塩害、台風を鑑みて耐用年数は短くすべきではないだろうか?」という議論が白熱した。
建物や車など、耐用年数が全国一律なのはいかがなものか。特例が設けられるべきではないか。という観点から毎回議論を重ねていた。若者特有の青臭さはあったかもしれないが、本気で沖縄の為にどうしたら良いか?と考え、今でも、それをきっかけにして特例が創設されていたらと悔しい気持ちになることがある

沖縄版耐用年数の特例が創設されていれば、減価償却費が多額になり、節税効果や早期の投資回収ができ、莫大な経済効果をもたらしていただろう。

あの頃から「いつか沖縄の為に役に立ちたい!」と思い続けていた。あの頃の学生はみな、そんな熱い魂があったように思う。

沖縄は所得も産業も本土から立ち遅れているという、変な劣等感が知らぬ間に体に染みついていた税理士も沖縄より本土のほうが優秀な人がいると思われている
先日お目にかかった県外出身のお客様も、御縁があって税務調査から初めての仕事を受けた。すばやい対応と交渉で無事に乗り切って節税も受け入れてもらえ、安堵した矢先、お客様の口から「いや~山内さん助かりましたよ。佐賀県に居る知人の税理士に頼もうかと考えていましたよ。」という言葉がでた。まだまだ沖縄の税理士に限らず各分野の専門家が専門家として認知・信任されていないと痛感した。

古く沖縄の歴史を紐解くと、1372年進貢船に乗って小さな琉球の島から未だ見ぬ国へと向けて大海へと漕ぎだしていった。命がけであったにちがいない。未来の沖縄のために志高く、世界を広げていった祖先の人々達。私たちはまだまだ祖先が広げてくれた可能性に報いていないのではないだろうか。現状に甘え、ぬるま湯となってはいまいか、自らの足元を正し、自戒の念を以て振り返ってみる。

沖縄の税理士業界を見渡してみても、国際化時代を迎え対応する人材、専門家の教育が遅れており、不足している。そして金融商品についても、抵当証券ローンやノンリコースローンなど特別な金融商品を沖縄で私が取り扱うことは、本土より3、4年遅れていた。当時はそのローンの名称さえも沖縄の金融機関では知られていなかった

お客様のために新たな融資形態の商品を求め、東京の抵当証券会社の門を叩いた日から21年、今だ沖縄と本土を比較して、経済に関して色々な場面で不利であったり、立ち遅れているという点は否めない。それは人材や商品、ひいては沖縄経済において、大きな機会損失だと思う。これからは世界に目を向けつつ、不利な沖縄の情勢と本土とのギャップを埋めるために、私たちはもっと積極的な働きかけが必要だと強く感じている。

先人達の想いを汲んで、国内外に通用する人材と、そして彼らが活躍する場を作っていくのがこれからの私の役目だろう。

ウチナーンチュだけにとどまらず、優秀で心意気のある仲間を募っていきたい。そして真の時代とニーズに応えられる税理士法人ダイヤモンド経営にしたいと考えている。

その道は簡単にいかないかもしれない、遠回りをするかもしれない、けれど苦労を味わう心のゆとりも出来てきた。それが自分自身の歴史を重ねてきたということだろうか。

幾多の苦難も乗り越えてきた沖縄の先人が築いた精神は、時を超え、ダイヤモンドスピリットとなって私の胸に輝いている。

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