家督相続人の悲劇
2009/09/08
明治31年7月16日に施行(沖縄は明治32年1月1日)された明治民法は、昭和22年5月3日、日本国憲法(新憲法)の施行に伴い、婚姻及び家族に関する法律は「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」ことを宣言しているため、昭和23年の新民法の施行により、家督相続制度は廃止されました。しかし、当時、アメリカの占領下にあった沖縄県では、米国の布告により、日本の行政権や司法権行使の停止と、現行法規(明治民法)の施行が持続されたため、相続においては依然として、家督相続と遺産相続の二本立てでした。その後、琉球政府は昭和32年1月1日から「民法の一部を改正する立法」を施行し、本土の新民法と同様の内容になりました。

長男(被相続人)の相続財産をめぐる争いが発生した。
戸籍には、父の死亡により、昭和19年5月28日長男への家督相続届出があった。
長男が家督相続したにもかかわらず、当時、長男が幼少であったため、父の財産を母の名義に移したことが悲劇の原因となった。
長女の主張は、相続財産は母のものであり、相続人として財産分与を主張してきた。
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- 相続財産の名義人が父の名義であれば、そのまま長男に所有権が移転します。
既に、財産名義を母に移しており、母の取得時効が成立し、家督相続を理由に、長男の相続人(孫)は、母の財産が長男の家督相続財産とする主張ができなかった。 - 長男は生前に、母から時効にかかる前に、移転登記を早めに行う必要があった。


















